祇園祭の魅力

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おもしろい京都案内
─────────────────────────────第96号

こんにちは。
発行人の英学(はなぶさ がく)です。
拙い文章でお見苦しいところがあるかも知れませんが宜しくお願いします。

京都の7月は祇園祭一色です。
7月1日の切符入から始まり31日の茅の輪くぐりで幕を閉じます。
その間幾つもの神事や行事が主に八坂神社と四条烏丸近辺のいわゆる鉾町で行われます。
主な見所は10日の神輿洗いから28日の神輿洗いまででしょうか。
私は7月10日の神輿洗いから24日の後祭の山鉾巡行と還幸祭まで密着しています。
今回は私の祇園祭が好きなエピソードを中心にその魅力を共有させて頂ければと思っています。


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■■今日のテーマ■■

祇園祭の魅力
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山鉾巡行の成り立ち

将軍の世継ぎ争いに端を発した応仁の乱は、数十年間京の都を焼け野原にしました。
当時極貧の農民は土一揆を起こすも、足利将軍家を始め武士達はそれを鎮圧する力もなくなっていました。
この頃、町の中心地に住む商人は田舎の貧農による土一揆で町内の家が焼かれる被害にあっていました。
農民の一揆に手を焼いた幕府の役人も自分達でどうすることも出来ないので町衆に農民を攻めさせます。

町衆の人々は弱いもの同士が殺し合う事に徐々に疑問を抱き、武士に対する不信感を強めました。
町衆たちは税金を払わないことで武士に抵抗しました。
彼らは武士に対してより強い団結力を見せる必要がありました。
この時の団結力が町衆自らの手による祇園祭の再興でした。
応仁の乱で32年間途絶えていた祇園祭の再興を決意したのです。

しかし武士達はこの祭りを邪魔しようとしました。
祭り直前に神事取りやめの命令を出したのです。
祇園祭は869年から続いてきた神事です。
応仁の乱までの間、既に「祇園会」(ぎおんえ)は神事として約600年行われてきました。
しかし、応仁の乱が終わり32年ぶりに町衆は自分達の手による「祇園祭」を強行したのです。
神事取り止めと言われ祇園会が出来なくとも祇園祭をやろうと。
これが八坂神社の神事(神幸祭や還幸祭)とは別に山鉾巡行が完全に町衆のものとして行われるようになった祇園祭の発祥です。

山鉾巡行を行う当日、武士や僧兵が巡行の邪魔をし立ちはだかります。
町衆は、巡行を阻止しようとする武士達によって命を落とした人もいたでしょう。
でも彼らは自らの命と引き換えに祇園祭を永遠に続ける事を言い残しました。

応仁の乱で、荒廃した京都に32年間祇園会は途絶えていました。
再興するきっかけは鉾町の町衆の武士への反発の原動力、団結力でした。
戦で数十年もの間沢山の人の血が流れたため、町衆は武士に対して可能な限り平和的な抵抗がしたかったのです。
それが祇園祭再興への強い団結力となったのです。

このように応仁の乱後、西暦1500年にそれまで約600年続いていた祇園会が町衆の手によって祇園祭として復活しました。
鉾町の団結力がなかったら今日の祇園祭はなかったかも知れません。
祇園会として約600年、祇園祭として517年続いているのが今年の祇園祭でした。

昨年は台風11号の影響で中止の可能性がなかった訳ではありませんでした。
祇園祭は悪天候がもたらす洪水や干ばつなどによる疫病を防ぐ目的で始まったものです。

1467年の応仁の乱後、祇園会は32年間途絶えましたが、1500年から今年まで517年間で祇園祭が中止、中断された時は数えるほどしかありません。
1582年の本能寺の変の年は11月に延期。
1865年は蛤御門の変の影響で前祭が中止されました。

明治以降は3回の時期に延期や中止を余儀なくされました。
1879年から1895年の間にコレラの流行が原因で4回延期や前倒しが行われたそうです。
第二次世界大戦前後は1943年から1946年の4年間中止されています。
戦後は1962年の阪急電鉄の工事にともなって一度だけ中止されています。
これらは全て止むを得ず行うことが出来なかった時です。
悪天候での前回の中止又は延期は1884年に大雨の影響で前祭の延期という記録があるのみです。
こうして見ていくと、祇園祭がいかに鉾町の町衆に大切に受け継がれてきたかがよく分かります。

昨年、山鉾巡行当日の天気予報が前日の時点で大雨なので、何人かの鉾町の方に山鉾巡行が中止にならないのか尋ねました。
するとどの方も「雨天決行、大雨強行」と言われていました。
鉾町の方達はどんなに炎天下で暑くても、土砂降りの雨や雷雨でも天候の事など全く気にもしていない様子です。
祇園祭を行うためには彼らは気象条件など気にならないのでしょう。

山鉾巡行は八坂神社の神様が1週間四条寺町の御旅所に神輿に担がれ渡御するために街全体を清める意味が込められた露払い的な行事です。
だから前祭の巡行の後に神幸祭があり、後祭の巡行の後に還幸祭があるのです。
神幸祭は神輿が八坂神社から御旅所に担がれる神事で、還幸祭は御旅所から八坂神社に戻る神事です。
巡行することで煩悩や厄などを山や鉾に溜め込み街を浄化するのです。
そのため山鉾巡行が終わると山や鉾は不浄なものを集めて戻って来ているのですぐに解体されます。

現在山鉾は先祭で23基、後祭で10基あります。
4年前に大船鉾が149年ぶりに復活しました。
9年後の2026年には200年ぶりに鷹山が山鉾巡行に復活することを目指しています。
祇園祭は幾多の困難を乗り越えながら今でも元の姿に戻るため影の努力をしています。
それ以外でもまだまだ本来の姿に戻るための取り組みがなされています。
祇園祭は今年で1148年目となります。
個人的には5年連続6回目でした。
100歳まで生きたとしても60回しか見れません。

祇園祭の見物は梅雨時であり初夏でもあるのでとても過酷です。
ゲリラ豪雨や35度を超える猛暑との戦いです。
厳しい気象条件の中いつまでも元気に動き回れる体力を維持しこれからも末長く見守り続けたいと思います。


いかがでしたか?

京都は日本人の知識と教養の宝庫です。
これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。
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■■編集後記■■

お楽しみ頂けましたでしょうか?
私は当然、京都の魅力をお伝えしていてとても楽しいのですが、より多くの方達に共感して頂けたら嬉しく思います。

知識や教養は何の変哲も無い日常生活に彩りを与え、人生をより豊かで実りあるものにしてくれます。
京都の魅力に興味を持ち、日本そのものを深く知ることで自分を見つめ直すことが出来ます。
そして、親や祖先を敬い、母国に感謝する気持ちが深まるきっかけになれば幸いです。
また日本人とし国際社会で誇りを持って活躍するために欠くことの出来ない教養だと考えています。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

毎回京都の興味深い、楽しいネタをお伝えします。
京都観光が数倍楽しくなるような、皆さんに役立つ情報を提供できればと思っています。

ご感想・ご意見は、お気軽にご連絡くださいね♪
では、また来週お会いしましょう!!       
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