「玉の輿」ニッポンのシンデレラ「桂昌院」 「玉の輿」ニッポンのシンデレラ「桂昌院」(メルマガ「おもしろい京都案内」第12号)

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おもしろい京都案内

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─────────────────────────────第12号

こんにちは、発行人の英学(はなぶさ がく)です。ガイドブックには載ってない知って得する京都の魅力をお伝えします。拙い文章でお見苦しいところがあるかも知れませんが、よろしくお願いします。

■今回のテーマ

「玉の輿」ニッポンのシンデレラ「桂昌院」
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京都市内の中心部から北に上がったところに今宮神社という古社があります。この辺りは紫野(むらさきの)と呼ばれる地域で、有名な観光名所でいうと大徳寺周辺になります。この今宮神社は門前菓子「あぶり餅」でも有名で、京都らしい情緒ある景色を見にいつも大勢の観光客で賑わっています。
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また、若い女性の間では「玉の輿御守り」が授与されることで絶大な人気があります。

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広々とした神社の境内には、「桂昌院玉子(けいしょういんたまこ」の石碑が建てられています。桂昌院は、江戸時代初期、西陣織で有名な西陣の八百屋に生まれ、江戸幕府三代将軍徳川家光の側室にまで昇り詰めた女性です。着物の街・西陣はこの神社のすぐ側にあります。

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桂昌院は家光の側室になっただけでなく五代将軍綱吉(つなよし)の母として江戸城の大奥のトップに君臨しました。そして、息子・綱吉の権力を背景に権勢を振るいました。約300年前、桂昌院は女性として究極の出世を成し遂げた、まさに日本史史上他に類を見ないニッポンのシンデレラなのです。

江戸時代初期の寛永年間にお玉は西陣の八百屋の娘として生まれますが、父が幼い時 に亡くなりとても貧しい生活を強いられました。当時は貧しさから子捨てが当たり前だった時代にお玉の母は懸命に働き子供を育てました。そんな母は暫くすると、武家の名門に飯炊きとして迎えれ、後妻としてお玉をつれて嫁ぎました。突如武家の娘になったお玉は武家の作法を厳しく叩き込まれました。そして13歳の時、奥勤めのため江戸の大奥に行くことを告げらます。お玉は大奥で側室の部屋子として働くことになりました。

大奥は当時日本の女性たちにとって誰もが憧れる栄華の頂点でした。一番多い時で28階級3000人もの女性が在籍していたと伝えられています。当時その頂点に君臨する家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)から部屋子になるように声をかけられました。お玉は抜群の美人で、目立って機転の利く子だったそうです。そのため、なかなか子宝に恵まれなかった家光の側室の最有力候補になり、春日局のお眼鏡の通り17歳で家光の側室に選ばれました。この時、お玉がお輿に担がれて将軍に嫁いだことから、裕福で地位の高い男性に嫁ぐことを「玉の輿」と呼ぶようになったのです。

江戸幕府が一番繁栄し、強大な権力と財力を備えた時期の将軍家光の側室に選ばれるだけでも大変なことです。暫くして、お玉は幸運にも元気で聡明な男の子を出産します。そして、その子が後の五代将軍綱吉になるのです。

当時将軍家ともなれば当主は家督の繁栄のため沢山の子孫を残します。正室以外にも複数いる側室の一人が男の子を産んでも必ずしも家督を継ぐ次期将軍になれる訳ではありません。案の定、家光の死後四代将軍に選ばれたのは別の側室・お楽の方との間に生まれた家綱(いえつな)でした。

お玉は、家光の死により江戸城を去り仏門に帰依し桂昌院と名を改め筑波山(茨城県)にある知足院というお寺に入りました。お玉の子・後の綱吉は、舘林(群馬県)城主となり、多くは江戸の藩邸、神田の屋敷で過ごしました。綱吉が父・家光を継ぎ四代将軍になるという夢は途絶えてしまったのです。母・桂昌院は仏門に、生まれつき聡明だった子の綱吉は学問(儒教)に励み家綱の時代を過ごしました。

普通ならそれでおしまいです。

30年後四代将軍家綱が亡くなると幾つかの幸運にも助けられ、ついに綱吉は5代将軍に就くのです。将軍の母となった桂昌院もまた30年経って幕府の中心に戻ってきました。江戸城に戻り、息子の力を背景に大奥の中枢に就いたのです。

桂昌院と綱吉の母子は、武士は刀の時代ではなくこれからは儒教と仏教を重んじる学問の時代にしたいと考えていました。主君への忠孝と親への孝行こそが社会を安定させると奨励したのです。不忠不孝は重罪とし、桂昌院は社会の安定と国の繁栄は仏の力も必要と江戸に護国寺を創建し、人々の安寧な暮らしを祈りました。

八百屋の娘に生まれ、長く筑波山のふもとで仏門に入っていたので、桂昌院は庶民感覚を持っていました。そのため、殺生や日常的に行われていた捨て子は許すことが出来ませんでした。桂昌院はもっとも罪深い殺生はわが子を殺すことで、人々が命の尊さを知り慈しむ必要があると考えていました。人にやさしく、生き物にやさしく接することを法律として成立させる。それが綱吉の時代に制定された生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)でした。

武士の価値観では人殺しは当たり前でごく日常的な価値観でした。虫の居場所が悪ければ、近くを通りかかる人皆殺してしまうなんていうことも日常的に行われていました。桂昌院は、そのような人を殺してなんぼの世界から学問の時代にしたかったのです。生類憐みの令が発布されると次第に辻斬りや人殺しも減っていきました。この法律は少々行き過ぎなところがあり、犬猫魚、蚊やハエに至るまで殺傷を禁じ、違反すると流刑や死罪にしていたそうです。そのため、「天下の悪法」などと呼ばれることもあります。

ただそれは、桂昌院が誰もが命を慈しむ国家づくりを目指したいという強い気持ちの表れだったのだと思います。桂昌院はとても優しい「情の人」だったのだと思います。母親としても息子が将軍になることを決して諦めないで二人三脚で30年もの間一緒に頑張ったのだと思います。そんな彼女の優しさは今でも京都の街を回っていると至るところに感じることが出来ます。

13歳で京都を離れてからは一度も住んだことはなかったようですが、桂昌院が再建したと伝わる名所がいくつもあります。智積院、乙訓寺、南禅院、勝持寺、善峯寺、金蔵寺、清涼寺、西明寺、真如堂など有名な場所だけでも枚挙に暇がありません。このような場所を訪れた時にとても強く想うことがあります。それは、貧しかった幼少の頃にしか住んだことのない地元京都に恩返しがしたいという桂昌院の優しい気持ちが伝わってくるのです。

五代将軍綱吉は、最愛の母・桂昌院が76歳のとき当時女性として最高の官位である従一位(じゅういちい)を贈りました。天下人まで出世した将軍綱吉は苦楽を共にし、影ひなたなく支えてくれた母の恩に報いたのです。

桂昌院・綱吉母子亡き後も生類憐みの令が掲げた捨て子の保護はその後明治維新まで約180年間にわたって続けられました。大きな戦乱もなく、江戸の街に独自の文化が花開くほど庶民が安心して暮らせる社会の礎を築いたのです。

西陣の貧しい八百屋の娘から徳川将軍家が一番栄えた時期の天下人の側室となり生母になった桂昌院。その墓は、2代将軍秀忠を始め江戸幕府の歴代将軍とその大勢の家族が眠る港区芝公園の増上寺にあります。

江戸時代の「士農工商」という厳格な身分制度の最下位出身ということに引け目を感じていたのでしょうか?桂昌院は江戸城の大奥に入ってからも相当学問にエネルギーを注いでいたといいます。嫉妬が渦巻く大奥の中で常に前向きで努力を重ねる姿はとても魅力的な女性だったことでしょう。

運だけでなく、自ら実力を養って幸運を引き寄せていった桂昌院は本物のシンデレラだったようです。


いかがでしたか?

お楽しみ頂けましたでしょうか?私は当然、京都の魅力をお伝えしていてとても楽しいのですが、より多くの方達に共感して頂けたら嬉しく思います。

知識や教養は何の変哲も無い日常生活に彩りを与え、人生をより豊かで実りあるものにしてくれます。京都の魅力に興味を持ち、日本そのものを深く知ることで自分を見つめ直すことが出来ます。そして、親や祖先を敬い、母国に感謝する気持ちが深まるきっかけになれば幸いです。また日本人とし国際社会で誇りを持って活躍するために欠くことの出来ない教養だと考えています。
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■編集後記
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

これからも京都の楽しくて興味深いネタをお伝えします。
京都観光が数倍楽しくなるような役立つ内容をお伝えできればと思っています。

ご感想・ご意見は、お気軽にご連絡くださいね♪
では、また来週お会いしましょう!!
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